
「イシマルさ~ん、今日はコレ着て下さ~い」
撮影所の衣装さんに手渡されたのが、上の写真だ。
紺のスリーピースの背広に、
毛の付いたオーバージャケット。
当日の朝、ホテルのテレビが喋っていた。
『本日、体温を越える暑さとなるでしょう』
だそうですよ。
そ、そんな日に、毛の付いたオーバーっちゃなんね?
コレは、本来、冬の北海道で、着るモンでしょ。
<北の国から>の撮影の時に、着用されるモンでしょ。
気温がマイナスの時にこそ、威力を発揮するモンでしょ。
慌てて台本を確認する。
ロケ場所は、スーパーの前。
つまり、炎天下で、私がセリフを喋る手筈になっている。
台本はこうだ。
野沢(イシマルの役名)
「今からこの店の冷凍庫を調べる!関係者以外は外へ!」
そうだったのだ。
冷凍庫にこれから入るのだ。
しかして、冷凍庫に入った。
室温は、-25℃と表示してある。
外温が、37℃だから、差し引き、62度の差である。
っと云われても良くわからないよね。
え~とね、以前、築地の冷凍庫で、
-50℃に入った経験がある。
これは、脅威であった。
中でペラペラ喋っていたら、
途中から、息が出来なくなってしまった。
息はしているのに、肺に酸素が入らなくなったと云うのが正解か。
すなわち、吸った冷気で、
肺が凍り始めていたのだ。
それまでの経験は、-20℃が最低気温だった。
そこからいきなり、-50℃である。
人は、こう聞かされても、ピンとこない。
マイナスである限り、20も50も同じだと思ってしまう。
しかし、この差を、平行移動させると、
30度の暑さから、0度の場所に行った<差>と同じだよね。
着ているモノが全く変わってしまう<差>だよね。
沖縄と北海道以上の<差>だよね。
かほど、-50℃という気温は凄まじい。
「息が出来ない!」
慌てて、何枚もの扉をこじ開け、外の空間に飛び出した。
やがて、肺が徐々に解凍を始め、
酸素を取り入れ出した時の安堵感ったらなかった。
その時の感慨はただひとつ。
「おいらは、エスキモーにはなれない」
(誰がなれっちゅうた)