~昨日の続き~
さあ、餃子の最終段階だ。
包む段階だ。
最も、技術を必要とされる段階だ。
誰もがやりたがり、誰もが失敗する段階だ。
この段階にみんなが参加したがり、みんなが手を出す。
皮の段階も、具の段階も、すっ飛ばし、
<包む段階>に参加したがる。
「今日さぁ、餃子作ったんだよお~」
と威張っているお父さんは、
大概、この段階に、
突然参加している。
餃子の皮を手に持ち、具を包むのは易しそうで難しい。
人は皆、さんざん餃子を食っているにも拘わらず、
餃子の形を理解していない。
ここで、一言、言いたい。
《
あなたは、餃子の形を絵に描けますか?》
どうぞ、今、時間に余裕があるなら、傍にあるスーパーの広告に
ペンで、餃子を描いて頂きたい。
正面から、横から、上部から・・
どうです?
描けました?
描けた!・・と自信を持って云えた方は、
餃子を正しく包む事が出来る正しい方です。
なぜ、私がこんな事を言うのかというと、
私の友人達は、揃いも揃って、
餃子の形を理解していない人達なのだ。
想像力が豊かと云えば、聞こえがいいが、
技術の無さを、
芸術性という言葉に転化しているとしか思えない。
中国が、4000年を掛けて作り上げた造形の芸術性を、
うふふ・・と笑っているとしか思えない。
彼らのやり方はこうだ。
とにかく、詰める。
詰められるだけ詰める。
言い換えれば、<メタボ餃子>だ。
パンパンに詰まった餃子が出来上がった。
「ほんじゃ、焼きましょ」
それが、コレです。
(うまかった)