石丸謙二郎:謙の発見!
2024-03-28T05:59:01+09:00
ishimaru_ken
石丸謙二郎
Excite Blog
富士山を見たら
http://ishimaruk.exblog.jp/30868085/
2024-03-28T05:59:00+09:00
2024-03-28T05:59:01+09:00
2024-03-25T06:59:05+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
富士山に対して、アナタはどんな感想を持っただろうか?
私の場合の感想を、年齢ごとに羅列してみよう。
20代
権威の象徴のような富士山が嫌いだった。
30代
富士山に登ってみたくなった。
40代
時折、むしょうに富士山を見たくなる。
50代
富士山を見つけると、「あっ富士山だ」
挨拶をするようになる
60代
富士山に向かって素直に頭(こうべ)をたれるようになる。
さあ、この次です。
70代になったら、どんな感想を述べるのでしょうか?
クイズ的に、問題を出しておきましょう。
この答えは、明日、つまびらかにいたしましょう。
それほど引っ張らなくとも、たいした答えではないのだが、
アナタに、考えていただきたい命題といたしましょう。
それよりも、20代の感想が気になる。
「権威の象徴のような富士山が嫌いだった」
ずいぶん突っ張った青春を過ごしている。
おおむね青春とは、権威に対して突っぱらかる。
それは、自分が権威側にいないからという理由もあろうが、
弱っちい自分に自信がない現れかもしれない。
突っ張らかり過ぎて、違法行為までしてしまうのは、いただけない。
「すみません」と誤った時には、すでに遅い。
そんな時は、富士山を観てみるのもいいかもしれない。
ただ背が高いだけではない秀麗な姿で、そこに在る。
そうそう、さっきクイズの答えは明日と言ったが、気が変わった。
いま、答えてしまいましょう。
70代
富士を見たら、
「おっ元気かい!」気軽に声をかけるようになった。 八ヶ岳 編笠山の鞍部から
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考えてみればオジサン
http://ishimaruk.exblog.jp/30851970/
2024-03-24T05:44:00+09:00
2024-03-24T05:44:15+09:00
2024-03-13T08:50:02+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
「考えてみれば、ゴジラって居た事なかったんだよネ」
喋り始めに、「考えてみれば」を付けるオジサンがいる。
久々の、口癖オジサンの登場だ。
多数のひとたちが、ああでもないこうでもないと喋っている最中、
このオジサンは、
「考えてみれば・・・」と喋り出す。
このオジサンの特徴は、
なにかを「考えた」から喋り出した訳ではないと言える。
議論紛糾の際に、視点を変えようとしているに過ぎない。
ふと、休憩をしようとしているフシもある。
だからか、皆が額にシワを寄せている議論中に、
やや笑みを浮かべながら、「考えてみれば・・・」とやる。
笑みと同時に顔の前で、手のひらをヒラヒラしたりする。
このオジサンは、以前このオフタイムに登場した、
《そういえばオジサン》の親戚である。
「そういえば・・・」
「考えてみれば・・・」
根っこは一緒と言って差しつかえない。
話題の変え方の手段が同じなのだ。
ただし、《そういえばオジサン》の方は、手の動きが違う。
顔の前で横にヒラヒラではなく、上下に動かす。
ネェネェと人を呼び止めるときの動きに似ている。
どちらも、自分に注目してほしいと、手を動かしている。
言葉だけでは、弱いと感じたのだろうか、手を動員している。
しかしながら、この両人が右手にペンを持っている時は、
動きが少し変わる。
《そういえばオジサン》は、持っていない時と変わらない。
ところが、《考えてみればオジサン》がペンを握っていると、
そのペンの尻を額にトントンとやりながら、喋る。
本来指先でトントンやる行為を、ペンで行っているので、
「深く考えている」絵ヅラが生まれる。
あきらかに視覚効果を狙っている。
この意味を深堀りすれば、
《そういえばオジサン》より、《考えてみればオジサン》の方が、
勝っていると言わざるをえない。
今日は、アナタに2つの言葉を口に出しながら、
比較してみていただきたい。
自分の心持がどう変わるのか、確かめていただきたい。
「そういえ・・・ゴジラは~」
「考えてみれば・・・ゴジラは~」
「考えてみれば」の方が、
賢いと言われそうな気がするだろう。
親戚として登場させたが、《そういえばオジサン》は、
まだまだ親戚中でも、立場が低いのである。
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耐久高校のユニークさは なな
http://ishimaruk.exblog.jp/30862500/
2024-03-21T05:50:00+09:00
2024-03-22T08:52:20+09:00
2024-03-20T21:52:26+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
これは、昨日の甲子園の試合結果である。
創志学園 7 ― 0 別海高校
山梨学園 7 ― 1 京都外大西高校
中央学院 7 ― 1 耐久高校
アナタは何に気づくだろうか?
NHKのアナウンサーは、喋っていた。
「ななたいれい
ななたいいち
ななたいいち」
長い甲子園の歴史で、
一日の試合で、勝利チームのすべてのスコアが、
「なな」になった事があっただろうか?
耐久高校は、負けはしたが、この奇跡とも言える、
「なな」の歴史を作ったとも言えよう。
なぜ、こんな些末な数字的な驚きを語っているかといえば、
わが著書、
《犬は棒にあたってみなけりゃ分からない》 敬文舎
の中で、「なな」の話を書いているのです。
「なな」の現れる確率と、「たいきゅう」の現れる確率は、
どちらが上かとの、おかしな話をしている。
耐久高校の戦いは、春はここで終わってしまったが、
このチームは強くなる。
さらに不可思議な、数字のナゾも残してくれた。
応援したくなる高校である。
(校歌も覚えて歌った)
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ピアノのある風景
http://ishimaruk.exblog.jp/30853354/
2024-03-20T05:44:00+09:00
2024-03-20T05:44:03+09:00
2024-03-14T08:45:50+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
上の写真は、なにか分かるだろうか?
「グランドピアノでしょ」と答えたアナタは、
なんとなく写真を観た方だ。
そこは、スキー場のホテルのロビーであった。
今年、スキー場の3軒のホテルやペンションにお邪魔している。
3つの内、2つ宿にピアノがあった。
「どうぞ自由に」
私のような下手くそが弾くこともあるので、防音ガラスがあったり、
別室だったりと工夫は成されている。
冒頭の写真のをよく見ると、右端にコンセントが・・・
つまりどういうことか?
このピアノはミニチュアである。
横幅は、15センチしかない。
それにしては、見事な造り。
壁のへこみに、飾りつけされている。
このホテルには、別にアップライトピアノが置かれてある。
うるさくならないように、《ヒーリングルーム》にある。
弾きたい人は、そこで思う存分奏でてよい。
ピアノはインテリアとしては素晴らしい。
だのに、それを積極的に弾こうという方は、少ない。
友人らに、ピアノを弾いたことがあるか訊いてみた。
殊に女性の場合、子供の頃に習った覚えがあるらしい。
そしてその後、弾くことがないまま暮らしていると云う。
日本の家事情、ピアノを置ける家が少ないのと、
いったん、弾くことをやめた期間が生じると、
ふたたび練習を始めるのは、おっくうだと言う。
その気持ちは分からないでもない。
子供の頃の習い事は、しゃにむにで過ごせるが、
大人になってからの練習事は、気が重い。
とんでもなく上手くなれる訳がない事が分かっているだけに、
練習に身が入るかどうか・・・
しかしながら、楽譜が読めるという特殊能力を、
手に入れたのだから、
ぜひ、ピアノに改めて立ち向かって欲しいと願う。
本人は、ヘタだと思っていても、聞いている我々には、
素晴らしいひとときを過ごせるのだから――
壁のへこみに
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東西南北が分かる能力は
http://ishimaruk.exblog.jp/30850619/
2024-03-15T05:25:00+09:00
2024-03-15T05:25:03+09:00
2024-03-12T08:27:06+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
昨日の、《わけの分からん能力》はいつ備わったのか?
東西南北の方向感覚は、いつでも備わっているのか?
・地下でも発揮できるのか?
・目隠しをして連れていかれても分かるのか?
・眠って起きた時でも分かるのか?
のか?と自分で問うてみたのだが、
検証してみた事がないので、よく分からない。
先日の志賀高原スキー場で発揮されたように、
困った時に、湧き出るように発揮されるのは確かである。
では、いつどうやって、その能力が備わったのか?
ひょっとすると――
私は、子供の頃から、引っ越しに明け暮れていた。
父親の職業の為に、1年に1度転勤をさせられた。
家族は、新しい地に行くと、まず会社が指定した社宅に入る。
父親はソコが気に入らない。
戦争で苦しんだ分、なにか楽しいことをしたがっている。
ひと月の間に、家を探してくる。
すぐに引っ越す。
つまり1年に2回の引っ越しとなる。
けんじろう君は、その地に住み始めると、
春休みに町を歩きだす。
デタラメに歩き回り、なんとなく家に帰ってくる。
やがて4月の学校が始まるのだが、その前の3日間で、
ほぼ町の全容を把握していたフシがある。
したがって、どこかに連れていかれて、ポトンと降ろされても、
自力で帰ってくるのである。
歩く伝書鳩となっている。
鳩のように、目隠しされても帰ることができるかと問われると、
たぶん、無理だと思われる。(検証はしていない)
このような引っ越しを続けて、17才で東京に出てくるまで、
大分県内の、23の家に住んでいる。
東京はさすがに広く、なんとなくの把握にひと月かかった。
しかし、35才の時初めて訪ねたニューヨークの街は、
碁盤の目のようになっているので、
3日でどこでも行けるようになった。
っと、ここまでは、その能力(のうりょくと言えるならば)が、
どうやって備わったのかのヒントかもしれない動きを述べた。
実は、私には1歳違いの兄がおり、同様な幼少期を過ごしている。
ある日、この能力について質問してみた。
「どこからでも戻って来られるかな?」
「うん、たいがい大丈夫だな」
返事は短かった。
やはり後天的な授かり方をしたことが証明された。
弟の私は、さらに山にも登っているので、
この方向感覚が顕著に磨かれた。
日本中の町々も歩き回っているので、さらに鋭くなる。
特に、初めて訪ねた町では、敏感に針がふれる。
ところが――
ある街では、いまだにこのチカラが発揮されないのである。
その話は、明日してみよう。
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ブラックバーン
http://ishimaruk.exblog.jp/30838921/
2024-03-10T05:54:00+09:00
2024-03-10T05:54:03+09:00
2024-03-04T09:18:19+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
《アイスバーン》と云う言葉は、いまでは皆が知っている。
南国の方ですら、知識としてある。
地面が氷りのようになって、滑る現象だ。
雪国は、雪が常に降り積もるので、アイスバーンになりにくい。
ところが近年の暖かさで、お日様に溶かされた雪が水となり、
それが、夜中の氷点下の気温で氷となる。
そこに車が走ると、スタッドレスタイヤでも滑る。
事故となる。
ソロソロの低速で運転しなければならない。
では、この言葉は知っているだろうか?
《ブラックバーン》
アイスバーンの最も怖いバージョンと言えよう。
昨今のスキー場へのアクセスでは、ほとんど雪がなく、
ヘタすれば、ノーマルタイヤで行けるような所もある。
いくらなんでもそれは危ないので、最低限スタッドレスタイヤを履く。
早朝、雪のない舗装道路を走っていると、
前方のアスファルト面が濡れている。
「はは~ん、雪が溶けて濡れているんだな」
その道の表面は、真っ黒に見える。
どう見ても、ただ濡れているようにしか見えない。
ところが――
カチンカチンに凍った《薄い水たまり氷》なのだ。
水たまりと思った面の上をタイヤが過ぎると、
まったく摩擦が起こらず、ス~~~
車は、あらぬ方向に進みだす。
あれれ、アレレ?
とっさにハンドル操作をすれば、曲がりがひどくなる。
ブレーキを踏んだりすると、もっとひどくなる。
なにかできないのかと問われても、何もできない。
ブラックバーンの道を滑っている事実だけがある。
凍っている道だとの認識があれば、それなりの走りをする。
だが、ただの水たまりだと思い込んでしまうと、
スピードを落とそうとしない。
こう考えてみよう。
普通の靴を履いてアナタが歩いているとしよう。
目の前に、キンキンに凍り付いた道が現れた。
アナタはそこを走って通り過ぎられますか?
スキップとかできますか?
相当無謀な方でも、こわごわ抜き足差し足で歩くハズ。
走るとか、ポケットに手を突っ込んで歩くとか、できようもない。
しかし、コレは、凍っている事が理解できているアナタの場合だ。
ブラックバーンでは、凍っている認識は全くない。
先日、北八ヶ岳付近の道でこのブラックバーンを経験した。
横滑りする車に、驚いた。
スピードをさほど出していない低速走行の時である。
助手席にいた友人が、かすれ声を出した。
「ブラックバーンですね」
指摘しながら、顔を引きつらせている。
両足をつっぱらかしている。
その午後、同じ道を走ったのだが、見た目は濡れている。
午後には、お日様が活躍し、ホントの薄い水たまりとなったのだが、
見た目は、同じ《真っ黒の道》。
凍っているのか溶けているのか、見分けがつかない。
なるほど、マジックに近いダマしが道で起きている。
アイスバーンの場合は、雪で色が白い。
ところが、こっちは黒。
対策は――濡れた地面を見たら、
カタツムリになるしかない。 雪が極端に少ない車山(霧ヶ峰)
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ヒメヒミズ
http://ishimaruk.exblog.jp/30837601/
2024-03-07T05:48:00+09:00
2024-03-07T05:48:15+09:00
2024-03-03T13:49:20+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
先日、北八ヶ岳の山中の雪の中を歩いていたら、
黒い小さな動物が走り回っているのを見つけた。
とっさに映像を撮ろうとスマホを向けたのだが、
距離が20mほどなのと、すばしっこいので、
焦点が定まらない。
ズボズボと沈む雪の中を追いかけた。
しかし、敵もさるもの、樹木の付け根の雪が溶けている部分の、
穴に逃げ込んだ。
その夜、泊まった山小屋の主人に訊いてみると、
「ヒメヒミズ」だと教えてくれた。
初めて聞いた名前である。
ヒメは、《姫》
ヒミズは、《陽不見》
だと教わる。
つまり、「ちいさなお陽さまを見ないモノ」という意味で、
《モグラ》である。
ヒミズとはモグラを表わす別の言い方。
粋な言い方である。
そこで、疑問がわく。
ヒミズなのに、真昼間の雪の上を歩いているのは、なぜ?
その答えは、分からない。
このヒメヒミズは、しばしば日中に走っている姿を見られるそうだ。
そんなことをすれば、キツネやテンに襲われるだろうに、
地下から外に出てくるには、のっぴきならない理由があるだろうに。
冬はよほど、地下に食べ物が無くなるのだろうか?
雪が降る間は、雪面に動物の足跡がたくさん残る。
スキー場のリフトに乗っていると、様々な足跡が大小、見られる。
隠しようがない歩いた証拠が残っている。
刑事ならば、肩をすくめるほどの証拠を提出できる。
「シカ2頭が、追いかけっこをして、片方が、ここで跳んだ。
すぐさまアトの一頭が同じく跳び、じゃれ合いをしとるナ」
「ええ、そのあとをウサギが斜面を必死で登ってますネ」
「うむ、そいつは、90度に曲がって上から来たキツネから、
逃げ出したらしいワナ」
リフトの上では、まことしやかな想像をし放題である。
「あのちっちゃな足跡はなんじゃろか?」
「アレはヒメヒミズと呼ばれるモグラの足跡ですヨ」
「夜、地面から出てくるんかぃ?」
「いえ、昼間も出没するらしいです」
「ほんじゃ、泥棒が昼間盗みを働いているようなもんかのぉ~」
「たとえが悪いですネ」
「わしゃ、刑事じゃけんのぉ~」
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ゴマサバだらけ
http://ishimaruk.exblog.jp/30827619/
2024-03-01T05:35:00+09:00
2024-03-01T05:35:03+09:00
2024-02-26T10:38:37+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
《シメゴマサバ》
行きつけの魚屋を訪ねると、冬なのに、
ゴマサバが、まだ幅を利かせている。
誰に対して利かせているのかと言えば、
マサバである。
マサバは冬が旬であり、ゴマサバは夏。
ゴマサバとは身がやや柔らかく、土佐清水では、
おおぶりなゴマサバが飲み屋で出される。
柔らかい身なのに、旨みがしっかりしている。
身体の腹の部分に、黒っぽい点々があるので、
ゴマ サバと呼ばれている。
では、点々があるのがすべてゴマサバなのかと言えば、
違う。
見分け方は難しいが、《ゴマサバもどき》もいる。
そっちは、味が少し落ちる。
つまり安い。
海の温度がおかしくなったらしく、冬なのに、
魚屋にマサバよりゴマサバが多く売られている。
「どこへ行ったの?マサバ!」
マサバファンは、なさけない顔をして、魚屋をあとにする。
持って歩いている発泡スチロールの魚クーラーボックスには、
残念ゴマサバが入っている。
しかたないゴマサバでもある。
ゴマサバファンには申し訳ないが、
代用品のレッテルを貼られている。
といいながら、自分でこしらえた《シメゴマサバ》に、
いちいち舌つづみを落語家のように打っている。
一口箸ではこび、しばし瞑目したのち、
日本酒のおちょこを口元に近づけ、
ジュジュなどと、わざと音を立てている。
擬音は食事に置いて大切である。
「音をたててはいけませんヨ」
子供の頃叱られたものだが、知ったこっちゃない。
ほんなら、蕎麦を音を立てずに食ってみなってんだ。
旨くもなんともねぇじゃねぇかい。
旨い魚は、音をたてて食べるのが礼儀だと知る大人。
それはねぇ、お風呂に入って、
「はぁ~~~」と言うのと同じだね。
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ホウボウの浮袋
http://ishimaruk.exblog.jp/30827519/
2024-02-27T06:30:00+09:00
2024-02-27T06:30:14+09:00
2024-02-26T08:32:01+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
《ホウボウ》という魚が海の中に棲んでいる。
海底を歩くようにして泳いでいる(らしい)。
その証拠に、ヒゲのようなものが他の魚より伸びて、
それで歩く姿が、映像に写されている。
ホウボウの特徴は、何と言っても、腹ビレの美しさ。
ひろげるとウチワのように大きくなり、
緑やら青やら、にぎやかな色合いの芸術品となる。
それは、山の中に生える樹木の葉っぱのようでもある。
さらに裏側となると、色合いが赤にも及び、
いったい何の為にこれほどの極彩色のヒレを、
身に付ける進化をしたのだろうか?
ホウボウは釣れ上がると、「ボウボウ」と鳴くから、
そう名前が付いた。
あるいは、「方々」歩き回るので、名前を頂いたと、
言われている。
私的には、ヒレの「方側方側」(おもて側うら側)の、
色違いとも考えた。
ホウボウによく似た魚に、これがいる。
《カナガシラ》
ホウボウを一回り小さくした魚で、腹ビレを広げると赤い。
釣り人は、船の上でコレが釣れ上がると、
「なんだ、カナガシラかヨ」
と口を曲げて残念がる。
大きさが小さい不満を漏らしているのだが、
ホウボウもカナガシラも食べれば同じく旨い。
そして、ここが肝心なのだが、
ホウボウの浮袋の旨さは、ほかに類をみない。
お湯でゆでるだけで、弾力のある柔らかい楕円形になる。
これは、ホテルなどの朝食に出されている、
卵焼きの形に似ている。
釣り人でさえ、この旨さを知らずに、家で捌く時に、
捨ててしまっているヒトが多い。
旨さを知っている人は、ホウボウの浮袋だけ食べて、
身は捨てるという人すらいる。(ナことはありません)
では、カナガシラの浮袋は旨いのか?
実は、私はホウボウはよく釣るのだが、
カナガシラをまだ釣っていないので、知らないのだ。
たぶん、彼ら2種は遠い昔にたもとを分かった種だと思う。
分かつ時も、浮袋の意義を伝えあったと思う。
お互いを見分ける為に、腹ビレの色を変えたらしいが、
浮袋だけは、きちんと伝えてくれたと願いたい。
「ボウボウ」と鳴く息を噴き出す為の、弾力の強い浮袋を、
しっかり親戚の子孫にも伝えたと信じたい。 しまった 浮袋の写真を撮るのを忘れて食べちゃった。
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姿を変えた軍艦島
http://ishimaruk.exblog.jp/30802997/
2024-02-13T05:20:00+09:00
2024-02-13T05:20:18+09:00
2024-02-12T10:26:42+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
能登半島の先っちょに、変わった形の岩島がある。
あると述べたが、あったに変えよう。
《軍艦島》(見附島)
海の中に軍艦が舳先をそらしているかのような、
奇っ怪な形をしている。
日本列島の成り立ちを、山に特化して番組にしたのが、
BSNHKで放送されている《ジオジャパン》
ナレーションをさせていただいている。
それによると、日本の山の出き方において、大きな地震が、
かかわっている。
火山や隆起が繰り返される中で、《崩壊》がおこるのは、
千年に一度と言われる大地震のセイ。
千年に一度と言われれば、滅多におきない現象と思われるが、
何十何百万年という単位の中では、頻繁におこる現象。
つまり、10万年では、100回おきている計算になる。
それが、能登半島で起きた。
テレビで、軍艦島が崩落して姿を変えたと報道された。
ネットでも、崩落の様子が映し出された。
私が、訊ねたのは、2022年の初夏。
自転車で能登半島をこいでいる際、
立ちより、シーカヤックを借りて、近くまで漕いでゆき、
墨絵にしたためた。(冒頭の絵)
てっぺんに海鳥(ウミウ)の巣があり、美しさの中に、
削られた自然の驚異も感じていた。
もしかすると、千年前には、この岩島は、
もっと太かったのかもしれない。
さらに千年前には、二つの岩島が林立していたのかもしれない。
さらにさらにもっと昔には、岬から半島が伸びているだけの、
光景だったのかもしれない。
いま、我々が観ている自然の姿は、一瞬の切り取りに過ぎない。
仮に時間を10000倍に速くして、眺めていれば、
火山が生まれたかと思えば、雨風にどんどん浸食されて、
尖った山並みになり、やがて、
丸いおだやかな丘になってゆくのが見られるだろう。
軍艦島の変化を惜しいという気持ちがある。
と同時に、軍艦島が、我々に教えてくれた教訓はデカい。
「自然は、常に過渡期である」
そして、すべての山々の峰は、過渡期の形を並べて、
造山の不思議さを考えさせてくれる。 裏から見ると 横から見ると この部分は、崩落土砂で埋められた
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うまい納豆発見
http://ishimaruk.exblog.jp/30780204/
2024-02-10T05:58:00+09:00
2024-02-10T05:58:04+09:00
2024-02-02T08:01:17+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
納豆を納豆の産地で買って食べる。
納豆好きにとって、こんな幸せなことはない。
特に、個人の方が豆から造って、丁寧に育てているのなら、
なおさらである。
実際、朝、見つけた納豆を冷蔵庫から出して、こね、いただく。
うん、うまい。
やわらかく、ほどよい香りがして、ねばりも豊かである。
こうなると、もっと買っておけば良かったと惜しむ。
しかし、大量生産できない納豆は、日にちが保たない。
3日分がせいぜい。
そして、3日がたつ。
希少品が無くなった。
その時、ふと・・・
この納豆が毎日手に入ったら、毎日食べられるだろうか?
ほぼ毎日、納豆を食べる習慣がある。
スーパーで売っている3つでひと固まりの大量生産の納豆。
毎日、一年中、同じパックを2個食べているのに、
いまだ飽きることがない。
「けさも朝から、なっとうがうまい!」
などと、大きな声で喋っていたりする。
ほんとに納豆がうまいのか、健康に感謝しているのか、
毎朝、毎朝、同じメーカーの納豆を腹におさめる。
毎日、同じ缶詰をたべる猫を「偏食」などとバカにはできない。
さきほどの、「ふと」の続き――
あの現地で買い求めたおいしい納豆を、毎日食べられるだろうか?
週に一回、別のモノを食べるとして、
年間300日、あのおいしい納豆を食べられるだろうか?
答えは、おそらく、「否(いな)」である。
100点に近いものを、日々ほめ続ける気力が保たない。
なにより、あの味に慣れて飽きるのが怖い。
ベストのモノは、ときおり、いただくのが至福となる。
さほどおいしい納豆を見つけただけで、喜びとしなければ。 あちらこちらの宿の朝食にも必ず 納豆
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充電コードの統計
http://ishimaruk.exblog.jp/30775378/
2024-02-09T05:53:00+09:00
2024-02-09T05:53:04+09:00
2024-02-01T06:55:50+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
《二分の一の確率》
たとえば、スマホの充電の為に、端子をコードに差し込む、
《口》がある。
1センチ×5ミリの長方形の穴があいている。
そこに、とりあえず的に差し込もうとする。
デタラメに入れようとすると、50%の確率で、
オッケーか、ダメかになる。
ダメとは入らないという意味。
とある日、その穴に差し込もうとして、
逆向きだった経験が多いことに気づいた。
しかし、確率とは押しなべて、いつか50%になるだろうと、
高をくくっていた。
そこで確かめたく、半年前から、
逆に指した時に、×の文字。
正解の時に〇の文字を紙に書くようにしてみた。
すると――
今その紙が目の前にあるのだが、全部で100以上の〇×がある。
右側の〇の数に比べて、左側の×の数が圧倒的に多い。
ざっと見、倍以上ある。
いや、もっとか・・・
私が感じていた「ダメ」の感覚は間違っていなかった。
これはひとつの差し込み口だけの統計ではない。
今現在、このような長方形の差し込み口は、5つ以上持っている。
それらすべての実験結果だ。
どういうことだろうか?
私が、極端に間違いやすい性格なのだろうか?
それとも、世の中の人たちも、
「うんうん、しょっちゅう間違うんだよネ」
共感してくれるのだろうか?
半年も〇×をつけていると、イヤになる。
だからもうやめたいのだが、ひょっとすると、
明日から、〇の日がやってくるのではないかとの、期待もあり、
どうしたらよいのか悩んでいる。
どなたか代わりに一年ほど、実験して貰えないだろうか?
一日に、3回差すとして、年に1000回の統計がとれる。
どこかの学会に、その結果を発表して大騒ぎしてもらいたい。
今年の八ヶ岳は、雪が少ない
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奇跡の あーどぅるー焼き
http://ishimaruk.exblog.jp/30766944/
2024-01-31T05:40:00+09:00
2024-01-31T05:40:03+09:00
2024-01-30T09:44:09+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
《あーどぅるー焼》
与論島にある陶器の工房の名前だ。
こちらの女性主人は、チカラ強い作品をこしらえておられる。
作品というのは、造っている陶器が、
食器にとどまらず、いわゆるゲージツ作品となっている。
賞ももらっておられるらしい。
写真のモノは、カバンなどをテーマにした作品。
触感まで伝わってくる微笑ましい陶芸品だ。
売っているのか、質問をするのを忘れたのだが、
実は、この工房の陶器でアレが好きなので、通っている。
《ビールカップ》
ビールをグラスや陶器にそそぐと、泡が出る。
一杯目は、うまくそそげば、《絹の泡》がでる。
これが旨いってんで、呑み屋でも、
自動的に絹の泡がでる装置を置いてある。
さほど、ビールには、絹の泡だ。
素焼きの陶器は、基本的に、ビールを注ぐと、絹の泡がでる。
ところが、それは、最初の1杯目だけだ。
つぎ足したり、2杯目を入れると、絹の泡はたたない。
乾燥した状態の陶器のみ絹の泡がでる。
さあそこで、あーどぅるー焼きが登場する。
このカップは、2杯目だろうが、つぎ足そうが、絹の泡がでる。
試しに、水でチャッチャッと洗い、ビールをそそいでみたのだが、
きちんと絹の泡が出た。
こんな陶器やグラスは日本中、他に知らない。
我が家に呑みにくる友人たちは、不思議そうに器をのぞき込む。
つぎ足しながら、嬉しそうに首をひねる。
そんなだから、与論島に行くたびに、買い求めている。
ところが、最近、その器が棚にならんでいない。
ご主人に訊いてみた。
「ビールのカップは造らないんですか?」
「そうね、もうやめたの」
「絹の泡がいつまでもたつ奇跡の器なんですよ」
「あら、そうなの?」
ご主人は、そうとは知らずに造っておられたそうな。
なぜ、絹の泡がでるのか、原理も知らなそうだった。
「サンゴの化石のセイかしら」
偶然、かような食器を造ってしまったらしい。
っと、いうことは、今我が家にある器は、
割れてしまえば、もう無くなってしまう。
困った・・・
どなたか陶器をつくる方が、お店を訪ねて、
あのビールカップのナゾを解明し、
あーどぅるー焼きに特許申請をしていただいて、
新たに売り出して貰えないだろうか・・・と、
毎日、カップをかたむけながら、夢みている。
もちろん、あーどぅるー焼きが再現してくれれば、
最も喜ばしいのだが・・・
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視力検査の未来
http://ishimaruk.exblog.jp/30720138/
2024-01-27T05:51:00+09:00
2024-01-27T05:51:03+09:00
2024-01-21T07:55:52+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
視力は年齢と共におちると言われている。
たしかに、早朝、ガムの裏などの小さな文字を見ると、
ぼやけている。
虫眼鏡を取り出すことになる。
この20年ほど、山にのぼり、海で遊び、遠出をし、
遠くのものを見ている。
最も遠くでは、北アルプスの白馬岳(しろうまだけ)から、
富士山を見つけたので、
およそ200キロ先が見えていたことになる。
飛行機の巡航中に、ほぼ真下の道路を走る車も見る。
パイロットによると、1万1000mと機内マイクで言っていたので、
11キロ先(下)の車の形がはっきり見えたのである。
これを《遠視》というのだろうか?
老眼と遠視は違うらしい。
40代の頃、人間ドックの視力検査では、左1,2と右1,5だと言われた。
50代の頃は、1,5と1,5と、少し向上した。
そして昨年の検査で言われたのが、2,0と2,0。
よく見えるのである。
一番下にある馬蹄形の千切れた部分が、はっきり見える。
ところが――
《ランドルト環》と呼ばれるアレは、2.0以上を指摘させてくれない。
私には、その先のもっと小さいランドルト環を見たいのだが、
「はい、大丈夫ですよ~」で終了とされる。
「もっと小さいのは無いんですか?」
問うてみるが、
「いえいえ、大丈夫ですよ~」
大丈夫とかそういうことではなくて、
検査とは今だけの状態を教えてくれるだけでなく、
過去から未来に向かう我が身の状態を《線》として知りたい。
私の眼は、ひょっとしたら今現在、
《2,5》かもしれないではないか?
ということは、片目だけで言えば、20年かけて、
1,2から2、0まで向上したのだからして、
(いや、2,5まで向上したのかもしれないので)
10年後には、《3,0》になるかもしれないではないか!
そうか!
検査の方法がないではない。
現在の、機械の中のランドルト環を見るのではなく、
昔の、紙に書いたランドルト環を離れたところから見る方法で、
その距離を離せばよいのではないか?
仮に基準より1m離れたら、2,0が2,5になるとか、
2m離れたら、3,0になるとかを設定してくれれば良い。
あの検査紙は、どこかに売っていないだろうか?
いまのうちに、自宅検査したいものである。 それとも、単に、遠視なだけだろうか・・・
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散歩するのか?
http://ishimaruk.exblog.jp/30720050/
2024-01-26T05:18:00+09:00
2024-01-26T05:18:03+09:00
2024-01-21T07:22:04+09:00
ishimaru_ken
謙の発見!
《大分彩発見で、犬飼(いぬかい)町をたずねる》
ふと考えた・・・私は、アレをするだろうか?
《散歩》
こう書いて、10分ほど考えた。
散歩をしたことがあるだろうか?
たとえば、テレビ番組《大分彩発見》に出演する時は、
散歩をしている。
ただし、そこは、知らない場所だ。
未知の通り歩きと言っていい。
今言っている散歩とは、ご近所を散歩する話しだ。
いま、そう書いて、さらに10分が過ぎた。
ひょっとして、わたしは、散歩をしないのではないだろうか?
これを聞いて、
「ゲッ、つまんねぇヤツ」と思われるかもしれない。
しかし、その通りなのだ。
ご近所を散歩する習慣はない。
――ないのだが、これを旅先に仮定してみると、
「ものすごく散歩する人」になる。
言い換えると、
《一度も見たことがない景色》を観たいらしい。
すると、歩き回る。
この歩きを、散歩と称するならば、
私は、《散歩好き》となる。
では、自宅の周りを散歩しないのならば、閉じこもっているのか?
違う。
基本的に《せっかち》な私は、スピードを重んずる。
外出するのに、スピード――
つまり走る、走り出す。
走るのが楽しくない日は、自転車に乗る。
速く移動して、遠くまで行き、見たことがない景色に触れようとする。
さあ、これがエスカレートすると、当然のことながら、
旅先にも自転車を持ち込み、行動範囲をひろげる。
「点」で降り立った箇所から、「線」がひろがってゆく。
やがて線は網の目のようにひろがり、《面》となる。
まるで、自分の地所をひろげようとするゴウツク野郎である。
だからこう言い変えよう。
《あれも観たい これも観たい》 福井空港にて
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